講演会「近代建築をまちづくりに活かす」を開催しました。

2月17日、ドコモモ日本支部前代表、京都工業繊維大学・松隈洋教授による講演会と建築ツアーが、鳴門市文化会館で開催されました。

これに先立って鳴門市庁舎では、松隈先生から鳴門市の三木政策監に、ドコモモ選定記念プレートが手渡されました。文化会館と健康福祉交流センターは2018年、216番目に登録されました。(鳴門市庁舎と鳴門市民会館は、2008年に、140番目として選定済)http://www.docomomojapan.com/registration/

講演会では、丹下健三の作品と建築思想、それに対する批評家のコメントを紹介し、丹下との比較から増田友也の建築思想を分かりやすく解説してくれました。丹下は、人間を圧倒するような、神聖な造形美、モニュメンタルな建築を作りました。礼賛する人がいる一方、批判する人もいたそうです。対して、増田友也の建築の特徴を、「増田建築、静かな存在感。力技の丹下と対照的。無駄排し主張せず」という京都新聞の記事を引用しながら説明されました。

増田が1957年に手掛けた現・南あわじ市役所南淡庁舎の竣工時には、「総じて、辛棒できるかぎり、やすくつくようにした。ー(中略)ー 市民のみんなが豊かにならないかぎり、役場だけが飛びぬけて贅沢であるべきではない。ー(中略)ー それが、ぎりぎりにでも、建築であること―これが一大事となった。 」という言葉を残したそうです。この他にも、存命中の直筆の手記―鳴門に来る際に本当に沢山の言葉を残していました―を紹介しながら、増田の建築を追求する真摯な人間性を、私たちに紹介してくれました。

増田は、尾道市庁舎、京都・山ノ内浄水場、京都・蹴上浄水場、京都大学総合体育館、そして鳴門の市民会館、市庁舎、数多くの幼稚園、小学校、中学校を設計しています。丹下が広島平和記念資料館、東京都庁舎、代々木体育館、東京カテドラルなどの、モニュメンタルなハレの場を竣工させたのと対照的に、増田は、人々の日常の暮らしを裏方から支え、人が映える優しい器を作ってきたのではないか、と、両者の違いを分かりやすく解説してくれました。

丹下の作品が派手で、日本の表舞台を彩った建築(が故に、皆に知られ、有名)であるのに対して、増田の作品は、地味で、故にこれまで、あまり注目されてこなかったのかもしれません。鳴門市民が、話題になる今日まで、増田の存在をほとんど知らないまま、50年以上も時間を彼の建築で育ち、過ごし、働き、語らい合ってきたことは、ある意味、当時の増田の意図が、50年後の現代において、成功を収めている証であるのかもしれません。

松隈先生からは、徳島県を含む7県をまたがる「せとうちアーキツーリズム」のムーブメントや、前川國男設計の青森県弘前市の建築群を巡る市民活動(マップ作成やイス補修)、横浜市の神奈川県立音楽堂の大学生による子供向け見学会など、近代建築を使い続けたり、分かりやすく伝える活動の事例も、ご紹介頂きました。瀬戸内、弘前、神奈川の事例からは、鳴門の私たちが学べることも、沢山ありました。

鳴門にはいま、増田建築が19棟残っていますが、市民会館、市庁舎、共済会館などに、市から解体の方針が示され、その文化財級の建築物が危機に晒されている今、彼の業績と思想、その文化的価値に、いま改めて焦点を当て、考えを巡らせるのは有意義ではないでしょうか。

当日来られなかった方は、動画をぜひご覧ください。

京都より鳴門にお越し頂き、私たちに考える機会を頂きました、松隈先生には、市民会一同より、改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。

(小島成輝)